( ・ω・) ねぶろぐ

管理人ねぶおが、書評・料理・風物などについて気ままに語る。

小泉八雲集

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( ・ω・) 今回はこれ、小泉八雲集である。

 

耳なし芳一』『むじな』といったメジャーな話なら、日本人で知らない人はいないであろう。しかし小泉八雲、もといラフカディオ・ハーンの書き記した話はそれら以外にも数知れない。彼が日本の知人、友人から聞き集めて記した伝説や逸話の数々がこの一冊に詰まっている。

 

ジョジョのあの人物は弘法大師がモデルなのか?

どうも一般に、上に挙げたような『怪談』のイメージが強い小泉八雲。しかしそれ以外にも、いわゆる奇譚に分類されるような逸話なども多く書き記している。

中でも興味深いのが、真言宗の友人から聞いたとされる、弘法大師こと空海に関する幾つものエピソードだ。(八雲本人の著作からは少々軸がズレてしまうが)

 

「弘法も筆の誤り」という、誰もが知ることわざの元となった実在の人物にして、卓越した書家であった弘法大師。何と逸話によれば、筆の先から墨汁の滴を飛ばして文字を書いたり、高所の額に筆を投げつけて先程書き忘れた点を打ち直したり(しかも筆は手元に戻ってくる)、挙句には川面や空中にまで字を書いたというのだ。

 

この話を聞いて、何か既視感を覚える人もいるのではないだろうか。そう、「ジョジョの奇妙な冒険」第4部に登場する漫画家、岸辺露伴である。彼はペン先からインクを飛ばして黒ベタを塗るという離れ業を披露しているし、スタンド能力が成長するにつれて空中に指で瞬時にキャラクターを描くという場面も見せた。勝手な推測だが、もしや岸辺露伴のモデルの一人は弘法大師だったのではないだろうか?

(ちなみに、作者の荒木氏が既にどこかのインタビューでそう語っていたりしないだろうかと調べてみたが、残念ながらそういったソースは見当たらなかった…)

 

余談だが更なる逸話として、弘法大師の評判を良く思わなかった者がその字を声高に貶すと、晩の夢の中に貶した文字が現れて擬人化し、その人物をボコボコに痛めつけたらしい。(しかも同様の話が少なくとも2件ある)

実は弘法大師こそスタンド使いでは――いや、もうこの話はやめておこう……

 

霊的な「古き良き日本」への崇敬

この著作全体を見てとにかく驚かされるのは、ハーンが異郷の人でありながら日本の文化習俗というものをいかに熱心に学び、そして細やかに考察していたかという点である。それは、各種の伝説や逸話をあらゆるところから蒐集していたことに関してはもちろん、日本人の間に古くから培われてきた精神性の真髄を、ある意味日本人以上に深く理解していたところからも窺える。

これについては、本書の中にある『日本人の微笑』という項を是非に読んでいただきたい。彼が愛した古い時代の日本の良さと、そして文明の西洋化に伴い急速に失われていったそれらへの嘆きは、日本人であるならば一度は目を通してみるべきだ。そして個人的な感懐ではあるが、文明化がさらに進んだ現代において、今日の我々がどうなってしまったかということについても、猶のことよく考えてもらいたい。

 

また作中には、八雲の日本文化への探求心がいかに深かったかを見て取れるエピソードがある。ちょうどお盆の時期の焼津に滞在中だった彼は、燈籠流しを是非見てみたいと思っていたのだが、始まる時間をてっきり深夜と当て込んで寝過ごしてしまい、起きた時には燈籠がすでに沖へと流されていった後だった。

すると八雲は、燈籠を間近で観察したいという執念のあまり、一人で海へと飛び込んで泳ぎ出し、燈籠の一団に追いついてこれを存分に眺めたというのである。いかに興味深いとはいえ、死者の祭日の夜の海に一人飛び込んで沖まで泳ぐというのは、まず並大抵の根性では出来ない話である。(もっとも目的を果たした後、八雲は夜の海の底から「冷たい戦慄」を感じたという。まぁ、そりゃそうである)

とはいえその熱意があったからこそ、これだけの作品群を今日の世に遺すことができたのもまた事実と言えよう。

 

我々も知らぬ日本の姿

本書に収録されている怪異譚の中には、今日の日本人が知る妖怪像と微妙に違うものも幾つかある。例えば知っている人は知っているだろうが、我々の言うところの「のっぺらぼう」が登場する作品は原題が『むじな』であり、実は作中にのっぺらぼうという単語は全く出てこない。また、『ろくろ首』の話に登場するのは、いわゆる「抜け首」だとか「飛頭蛮」に属するものであり、今日の人々が想像するであろう首が伸びる妖怪とは違うものとなっている。(元来、日本のろくろ首には首が抜けるものと伸びるもの、二つのパターンがあったらしいが)

 

そうしたものも含め、現代の我々が知らない、あるいは知ろうともして来なかったかつての日本の伝説や文化が八雲の作品の中には溢れている。それらは時に過度に讃美的であり、夢想的でもあるのは否めない。しかし物質的な豊かさと引き換えに、我々が失くしてきた古来の日本の精神的な豊かさが、この作品集の中には確かにある。現代の息が詰まるような競争に疲れ果てた人にこそ、是非読んでもらいたい一冊である。